芦刈先生との歴史談義① おおども宗麟

三重町にお住まいの芦刈政治先生は元三重中学校の校長先生であり、郷土史家としても有名な方で、最近では大分県先哲叢書『大友宗麟~戦国乱世の英傑』大分県教育委員会刊 の著者でもあります。先日、芦刈先生に『先生、宗麟の時代の宣教師の文書(耶蘇会士日本通信)に、『ODOMO』と書かれているのは、当時「大友」は「おおとも」ではなく、「おおども」と発音されていたのではないでしょうか?』と質問したところ、『ふむ。。大友家三代当主の頼泰が元寇の役で撤退をした際に、「大友は 子供うち連れ 落ち行きて 方々にこそ よりやすみけれ」と落首で批判されたのだけれど、その読みは子供(こども)に対応するなら(おおども)だよね。』と教えてくださいました。現在は「おおとも」と一般に発音されていますが、大友宗麟も、浅井長政(あざいながまさ)のように、「おおどもそうりん」と呼ばれていたのかもしれないですね!芦刈先生との歴史談義はとても貴重で、私にとっては至福の時間です。(^^)