大分のタイムカメラ④ 戦前の竹町通り商店街

明治末期の竹町通り商店街の絵葉書(著者所収)
明治末期の竹町通り商店街の絵葉書(著者所収)

こんにちは!(^-^)

 

今回は、大分市竹町通り商店街の明治時代と昭和初期の二つの絵葉書を紹介します。

 

右上の写真は明治末期の竹町の入口です。九州初の路面電車となった豊州電気鉄道(後の大分交通別大線。通称 別大電車)のレールが手前に見えます。路面電車が通っていた道路は、現在は大分駅からトキハデパート前のスクランブル交差点を通る大きな車道になっています。当時の竹町通り商店街は、眼鏡の看板が目印の矢野眼鏡店(右)と小手川商店(左)で始まり、ここから府内城下町の西の玄関である笠和口(現在の大分オアシスタワーホテル前の道路が外堀で、その出入口)まで続いていました。矢野眼鏡店は現在の『ヤノメガネ』で、今も竹町に本店があります。

 

昭和初期の竹町通り商店街の絵葉書(著者所収)
昭和初期の竹町通り商店街の絵葉書(著者所収)

右の写真は昭和初期の頃です。正面上に『竹町通』のアーチと、天幕のアーケードが部分的に作られています。自転車に乗った通行人の姿がありますが、アスファルトブロックで舗装が施されていました。1922年(大正11年)からは現在も開催されている竹町夜市が始まります。

 

1935年(昭和10年)鈴蘭燈が灯る風景。左手遠方に4階建ての一丸デパートが見える(著者所収)
1935年(昭和10年)鈴蘭燈が灯る風景。左手遠方に4階建ての一丸デパートが見える(著者所収)

夜は「鈴蘭燈」と呼ばれた電燈が灯りました。1934年(昭和9年)に、竹町2丁目に大分県初の百貨店「一丸デパート」が開店してさらに賑やかになります。

 

1945年(昭和20年)7月17日の大分空襲で商店街は全焼しましたが、戦後復興して現在の姿となりました。ただしばらく廃墟だった時期があり、かつての賑わいを取り戻すまでに数年の歳月がかかったそうです。一丸デパートの建物は焼失後、再建されることはありませんでした。

大分県で初の百貨店として竹町2丁目に開店した一丸デパートの広告(著者所収)
大分県で初の百貨店として竹町2丁目に開店した一丸デパートの広告(著者所収)


現在の竹町通り商店街は『ガレリア竹町』と呼ばれ、戦後は竹町噴水広場、現在は日本ポルトガル交流450周年を記念して作られた帆船モニュメントが名物となっています(帆船は竹町広場の整備のため今年度内に撤去予定)。それにしても、戦前の賑わいに改めて驚かされる写真ですね。。。

 

                           (文:森本)