大分のタイムカメラ⑥ 戦前の高崎山(城)の頂上から見た風景

高崎山の頂上から見た戦前の別府の風景(著者所収)
高崎山の頂上から見た戦前の別府の風景(著者所収)

こんにちは!(^-^) 今回は、戦前の高崎山の頂上から見た風景を紹介します。

 

地元の高齢者にお話を伺うと、戦前の高崎山は、現在のように山道から頂上までの樹木が密集していなかったことから、見晴らしが良いハイキングコースだったそうです。高さは東京スカイツリー(634m)とほぼ同じ628mです。

高崎山の中腹あたりから見た戦前の別府の風景(著者所収)
高崎山の中腹あたりから見た戦前の別府の風景(著者所収)


高崎山は古くは『四極山(しはつやま)』と呼ばれ、頂上からは別府湾や由布山、鶴見山など四方が見渡せたほか、豊後国府がある府内(現在の大分市)のどこからでも望める象徴的な山として知られていました。


中世には山城が築かれ、南北朝や戦国時代の合戦の舞台になっています。大友氏時代は巨大な要塞のような城であったことが近年の調査から判明しており、宣教師のフロイスが書いた『日本史』にもタカザキ(高崎)城として登場します。山頂には港や街道からの情報を伝えるための狼煙(のろし)台があり、府内の大友館や周辺との連絡にも使われていたようです。御紹介した戦前の高崎山からの風景を、四百年以上前に大友宗麟や黒田官兵衛が眺めていたと想像すると、歴史のロマンを感じます。


今年から環境省や大分市の森林セラピー事業の一環として、高崎山セラピー道路が整備されて、これまで樹木の群生で頂上からほとんど見えなかった別府湾が所々見られるようになりましたが、戦前の絵葉書のような絶景ではないようです。高崎山は、戦後に野猿の餌付けに成功して『おさるの山』として観光地化が進んだことや、国の自然動物公園であるためあまり木を切ることはできないそうですが、戦前のような眺望が可能になれば、大分を代表する観光名所としての評判がさらに高まると思います。。。

日出城天守台から、別府湾を挟んで望む高崎山(中央の小高い山)です。
日出城天守台から、別府湾を挟んで望む高崎山(中央の小高い山)です。

  

                            (文:森本)