佐賀関の大煙突頂上から見た、戦前の風景

佐賀関の大煙突の頂上から見た風景。写真上が南方向で、手前に港が見えます。(戦前絵葉書所収)
佐賀関の大煙突の頂上から見た風景。写真上が南方向で、手前に港が見えます。(戦前絵葉書所収)

こんにちは(^-^)

 

当院では高齢者から昔の思い出をお聞きして、長期記憶の確認をしながら認知症の予防や症状の改善に努めています。(※認知症と地域支援の取り組みページをご参照下さい。)そのときの補助資料として、郷土史マニアとして収集している大分の昔の写真をご覧いただきながら御話を伺っておりますが、今回は、佐賀関精錬所にあった東洋一の大煙突(通称:関の大煙突)の頂上から見た風景をご紹介します。※病院スタッフ日誌のページからこの記事をお読みになっている方は、「続きを読む」をクリックすると下の2枚の写真が開きます。

佐賀関の大煙突(戦前絵葉書所収)
佐賀関の大煙突(戦前絵葉書所収)

大正5年(1916)に完成した当時は、167.6メートルを誇る世界一の高さであり、その後も長く東洋一を誇っていたことから『東洋一の大煙突』、地元からは『関の大煙突』として大分県民に親しまれてきました。私も小学校や中学校時代に、社会見学に行った記憶があります。

 

『関の大煙突』は百年近くに亘って大分県の産業のシンボルでしたが、老朽化に伴い、平成25年(2013年)6月に解体されて、現地には記念碑が建っています。現在は昭和47年(1972年)に建てられた第二大煙突(高さ200メートル)が役割を担っています。

 

上記の二つの煙突は標高125メートルの丘の上にあることから、煙突頂上は約300メートルの高さですね。最初にご紹介した絵葉書の写真は、まるで航空写真です(^^)/ 

 

                             (文:森本)

佐賀関精錬所で作られた金属類。今も大分県の金属産業の中核を担っている。(戦前絵葉書所収)
佐賀関精錬所で作られた金属類。今も大分県の金属産業の中核を担っている。(戦前絵葉書所収)