三重町出身の偉人『重光葵』が歴史漫画に!

©集英社 学習まんが「日本の歴史」第18巻 占領された日本(昭和時代Ⅲ)
©集英社 学習まんが「日本の歴史」第18巻 占領された日本(昭和時代Ⅲ)

 

こんにちは。

 

当院のある三重町は、戦前から戦後にかけて外交官、政治家として活躍した重光葵(しげみつ まもる)が生まれた町で生家も残っています。ただ地元の中高生や看護学生に重光のことを聞いてもほとんど知られておらず(^^;)、寂しい思いをしていましたが10月28日に出版された集英社学習まんが『日本の歴史 第18巻 占領された日本』で、冒頭から大きく取り上げられていたのでうれしく思いました。

 

重光葵は、明治20年(1887年)、大分県大野郡(現在の大分県豊後大野市)三重町に大野郡長の次男として生まれ、重光本家の養子として杵築に移って中学を卒業します。明治44年(1911年)に外務省に入省、米国シアトル領事や中国公使を歴任しながら、一貫して国際協調主義を貫きます。昭和7年(1932年)には爆弾テロに遭い、右足を切断する重傷を負いながら上海事変の停戦交渉を締結させました。

 

歴史教科書に載っている有名な場面として、昭和20年(1945年)9月2日に、日本政府の全権として太平洋戦争の降伏文書に署名をしたことがあげられますが、集英社のまんが(上の写真参照)に書かれているようにGHQ(連合国最高司令官総司令部)からの最初の指令として、「公用語は英語とする、円の通貨は廃止する」などのGHQの直接統治に反対して政策変更を促し、その後の日本の独立につなげたことは英雄的な行為であり、今の若い世代にもっと知ってほしいと思います。重光葵の生家のある町として、三重町が知られるようになれば、、と三重町の観光協会のような思いを巡らせております(^^;)。。。

 

ご興味ある方は、ぜひ集英社の歴史まんが「日本の歴史」をご覧ください!

 

                    (文:森本)

 

参考サイト:集英社 学習まんが「日本の歴史」