大分市街近くに空港があった50年前の風景

昭和40年頃の大分市街の航空写真絵葉書です。(画面をクリックすると拡大します)
昭和40年頃の大分市街の航空写真絵葉書です。(画面をクリックすると拡大します)

 

 こんにちは。写真は今から50年前、昭和40年(1965年ごろ)の大分市街の航空写真です。画面の左方向が北で別府湾が見えています。大分川に架かっている左側の橋(弁天大橋)を渡ると、すぐに旧大分空港に着くことができました。空港には飛行機の格納庫や、北西に伸びる1本の滑走路が見えています。さらに遠方には新日鉄などの工場群が建設される前の広大な埋立地が広がっています。大分市にあった旧大分空港は昭和14年(1939年)に大分海軍航空隊として開設された後、終戦に伴う米軍接収を経て昭和31年(1956年)に返還されて以来、昭和46年(1971年)に国東にある現在の大分空港が完成するまで使用されていました。

 

 当時の大分市のパンフレットには、『市街近くに空港と港がある東九州の玄関』などのキャッチフレーズをよく見かけます。もしも、ですが旧大分空港が当初の計画の通りに新しい埋立地に拡張移転していたら、今の福岡空港よりもっとアクセスが良い『空と海の玄関』として大分県全体がさらに発展していたかも(!?)と空想することがあります(^^;)。。。

 

 上記はさておき、絵葉書では大分空港のさらに遠方に広大な埋立地が広がっていて、これから新日鉄や昭和電工などの新しい工場群、海上の赤いシーバースなどが建設されることになります。昭和電工の大分工場建設を手掛けた技術者の人生を描いた有名な小説「生命燃ゆ」は、後に渡哲也さん主演でテレビドラマにもなりましたね。また、絵葉書の中央を東西に走る大きな道路は国道197号線ですが、府内城周辺から舞鶴橋へは『昭和通り』と呼ばれて、大分駅前から北に伸びる『電車通り(現在の中央通り』と並んで大分市の交通網の柱となります。この絵葉書には、府内城に建設された大分文化会館や、戦前からの建物が残っている府内城西側の旧大分市役所、旧大分県教育会館、トキハデパートの建物も印象的です。

 

 この絵葉書は戦後の大分の新しい息吹と、戦前からの伝統を感じさせてくれる写真だと思います。ご興味のある方はご笑覧ください。(写真をクリックすると拡大します)

 

                     (文:森本)

 

参考サイト:

大分空港 wikipedia 

高杉良著『生命燃ゆ』徳間文庫

渡哲也主演『生命燃ゆ 妻よ娘よ、わが人生に悔いなし』 [DVD]

 

『回想法に役立つ大分の風景』(当院ホームページサイト):戦前の大分の写真を集めています。今回の絵葉書(昭和40年頃の撮影)に写っている、旧大分市役所や旧大分県教育会館をはじめ、電車通り(現在の中央通り)にあった旧二十三銀行・大分合同銀行本店やトキハデパート旧館などの戦前絵葉書をアップしています。