樹齢110年の嘉仁親王(皇太子)御手植の松

写真左:明治40年11月に、大分市の府内城の庭園に植えられた嘉仁親王御手植の松(行啓寫眞帖  所収)、写真右:明治40年5月に鳥取県米子市に植えられて、今も保存されている嘉仁親王御手植の松
写真左:明治40年11月に、大分市の府内城の庭園に植えられた嘉仁親王御手植の松(行啓寫眞帖 所収)、写真右:明治40年5月に鳥取県米子市に植えられて、今も保存されている嘉仁親王御手植の松

 

こんにちは。写真右(カラー写真)は、昨年12月に日本臨床薬理学会で鳥取県米子市を訪れた時に、湊山公園にある『嘉仁親王(皇太子)御手植之松』と書かれた松を撮影したものです。高さ約15メートルの巨大な松で、5階建てのビルや東京お台場にあった等身大の機動戦士ガンダム(約18メートル)くらいの大きさです。学会出席のため、朝7時ごろに湊山公園に行って撮影した慌ただしい写真です(^^;)が、米子駅でもらった観光パンフレットに「嘉仁親王御手植の松」とあるのを見かけたときに、大分城址公園(府内城)整備検討委員として当時のことを調べていた矢先で不思議な御縁を感じました。

 

嘉仁(よしひと)親王は後に大正天皇として即位されますが、皇太子時代の明治40年(1907年)に行啓(ぎょうけい:皇太子など皇族がお出かけになること)で日本各地を訪問されます。鳥取県米子町(当時)には明治40年5月に滞在されており、その年の11月には大分県を訪れて写真左(白黒写真)のように御宿泊された府内城東の丸御殿の庭園で松を植えられています。府内城の御手植の松は残念ながら戦災で焼失したと考えられていますが、米子市の御手植の松は立派に残っており、もしも戦禍を逃れていたら大分にも巨大な御手植の松があったかもしれませんね。

 

それにしても、明治40年(1907年)に植えられて、今年樹齢110年となる松は15メートルもの高さにもなるのだな~と改めて実感した山陰の旅でした。

 

                        (文:森本)